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五高の歴史

ゲオルグ・ドルと生徒たち

ゾフィー・ビュットナー

 

独逸人/1868年 プロイセン国ウェーフェルリンゲン生まれ
ドイツ語
在職期間:
1911(明治44)年~1915(大正4)年

高等学校最初の女性教師である。
ドイツで外国人のための私宅教授を行い、主に日本人の東京帝国大学・京都帝国大学の教授や文部省、在独日本大使館員、医師、技師等を教えていた。1907(明治40)年、鹿児島第七高等学校造士館教師として来日し、2年後に帰国。1911(明治44)年、熊本第五高等学校教師として再び来日し、4年間教壇に立った。

ヴィルヘルム・グンデルト

 

独逸人/1880年 生まれ
ドイツ語
在職期間:
1915(大正4)年~1920(大正9)年

初等神教学校を卒業後、チュービンゲン大学、ハレ大学等で哲学及び神学の研究を行い、1904年にヴェルテンベルグ新教地方教会の正牧師の資格を得た。1906(明治39)年、伝道の目的で来日。同年、第一高等学校のドイツ語教師となり、3年間務めた後、東京や新潟で伝道活動を行った。1915(大正4)年8月、五高教師となる。第一次世界大戦中、日独は敵対関係にあったが、ドイツ語教師として生徒の尊敬を受けた。熊本では初めて禅と仏教に触れたといわれる。帰国後はハンブルグ大学の教授や大学総長を務め、日本文学・宗教に関する多くの著書を残している。ヘルマン・ヘッセの従弟である。

ウィリアム・ポーター

 

英国人/1863年 アイルランド ウェーリント生まれ
英語
在職期間:
1916(大正5)年~1925(大正14)年

造船製図技師として働いていたが、1908年オックスフォード大学で日本語研究を志す。『百人一首』(1909年)、『土佐日記』(1912年)、『徒然草』(1914年)などを翻訳し、イギリスで出版した。その後来日し、1915(大正4)年神戸第二中学校の英語教師を経て、1916(大正6)年五高の英語教師となった。瑞邦館で開催されていた外国人演説会では「英国公立学校生活」を発表している。

ゲオルグ・ドル

 

独逸人/1882年 ドイツ バーデン=ヴュルテンベルク生まれ
ドイツ語
在職期間:
1925(大正14)年~1945(昭和20)年

1906年から1912年までベルリンの出版社に勤務後、1913年ベルリッツ語学学校でドイツ語教師となる。1914年から1918年まで第一次世界大戦に予備将校として従軍、表彰された。1925(大正14)年に五高のドイツ語教師となり、1945(昭和20)年までの20年間と最も長い期間在職した。1947年故郷エッピンゲンに帰り、成人学校の教頭となり、日本と日本人について多くの講義をした。生徒と一緒に馬に乗ったり、水泳をしたりする気さくな先生で、ドイツ帰国後も訪ねていく五高出身者がいたという。五高時代のことを『日本に二十二年~22 Jahre in Japan』に記している。五高最後の外国人教師である。

ジェームス・マーター

 

英国人/1883年 生まれ
英語
在職期間:
1928(昭和3)年~1937(昭和12)年

1911(明治44)年、広島県江田島海軍兵学校の英語教師となる。1914(大正3)年第八高等学校に赴任するが、第一次世界大戦が勃発したため辞職して帰国した。1928(昭和3)年に再来日して五高の英語教師となり、9年間在職した後に一旦帰国したが、まもなく英国大使館のスポークスマンとして来日している。日本文化の研究にも力を注ぎ、1930(昭和5)年五高を題材とした『龍南の五高生Gokosei of Ryunan』、『江田島物語』などを執筆している。

ロバート・クラウダー

 

米国人/1911年 アメリカ合衆国 イリノイ州生まれ
英語
在職期間:
1939(昭和14)年~1942(昭和17)年

1934(昭和9)年平壌の外国人学校で教鞭をとった後、1936(昭和11)年来日。東京の井上英会話スクール教師時代に知り合った東京帝国大学教授市河三喜夫人の紹介で五高に赴任する。五高では「ラフカディオ・ナンバーツー」というニックネームで生徒から親しまれた。1941(昭和16)年12月8日、日米開戦の日に敵国人として警察に連行され、その後、強制送還された。アメリカ帰国後は、ロサンゼルスで日本画家、実業家として活躍し、2010年、日米開戦の日に99歳で亡くなった。

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教師五高の歴史日本人教師