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五高の歴史

教 授

校長や在籍の教授たちにより、優秀な人材が五高に招聘されていた。教授たちは講義を行うだけでなく、部活動の部長や寮の寮監などとして生徒たちとかかわった。また、熊本の中学校、師範学校などでも講義を行い、九州地区の中学校の教育を研究する役割も担っていた。

秋月胤永

 

1824(文政7)年 会津若松生まれ
倫理、国語、漢文
在職期間:
1890(明治23)年~1895(明治28)年

会津藩の藩校日新館、幕府の昌平坂学問所で学ぶ。京都守護職に任命された藩主松平容保に随い、公用方として諸藩との交渉にあたる。戊辰戦争では副軍事奉行として籠城戦を指揮した。明治維新後、左院の少議生、第一高等中学校教諭などを経て五高教授に赴任した。
五高の精神基礎となる「剛毅木訥近仁」(論語の句)を教え、五高の校友会「龍南会」の名付け親でもある。人格高潔、学徳兼備で教師・生徒を問わず尊敬された。特にラフカディオ・ハーンは「先生は慈父のようである」と言い敬愛していた。

扁額 『北越潜行之詩』

嘉納治五郎

 

1860(万延元)年 神戸生まれ
第3代校長
在職期間:
1891(明治24)年~1893(明治26)年

1881(明治14)年東京大学文学部政治学科および理財学科を卒業。翌年哲学科選科を卒業し、学習院教授、教頭を経て1891(明治24)年第3代第五高等中学校長に就任した。在任中に医学部が開校、校友会「龍南会」を設立し、第1回卒業生を送り出した。五高離任後は、第一高等中学校長、文部省普通学務局長、東京高等師範学校校長などを歴任した。
また、柔術に新しい体育的、精神的、技術的工夫を加え、柔道と称し、1882(明治15)年に講道館を開いて指導し、以後普及に尽力する。五高校長時代、五高に外国人教師として赴任していたラフカディオ・ハーンは「jujutsu」を執筆し、欧米へ紹介した。
明治42年国際オリンピック委員となり、オリンピック第12回大会の東京開催、第12回冬季競技場の札幌招致に成功したが、日中戦争の開戦によりいずれも実現しなかった。

扁額 入神致用(勝海舟)

扁額 『順道制勝行不害人』(嘉納治五郎)

ラフカディオ・ハーン

 

英国人/1850年 ギリシャ生まれ
英語、ラテン語
在職期間:
1891(明治24)年~1894(明治27)年

英国で育つ。1869年アメリカに渡り、シンシナティ、ニューオーリンズで新聞記者として働く。1890(明治23)年4月に来日し、横浜滞在のあと、島根県尋常中学校の教師となる。1891(明治24年)、五高に赴任し、英語とラテン語の授業を担当した。五高を辞職後、1894(明治27)年『神戸クロニクル』記者となる。1896(明治29)年日本に帰化して小泉八雲と名乗る。同年東京帝国大学講師となる。1904(明治37年)早稲田大学講師を勤めた。
3年余りの熊本生活の中で、「知られぬ日本の面影」、「東の国から」、「心」等多くの名作を執筆した。五高で行った講演「極東の将来」の示唆に富んだ文章は、熊本大学構内の碑に刻まれている。

The future of greatness of Japan will depend on the preservation of that Kyushu or Kumamoto spirit, the love of what is plain and good and simple, and the hatred of useless luxury and extravagance in life.
(Lafcadio Hearn, January 27,1894)

「極東の将来」の碑

夏目漱石

 

1867(慶応3)年 東京生まれ
英語
在職期間:
1896(明治29)年~1903(明治36)年

1890(明治23)年大学予備門、1893(明治26)年帝国大学文科大学英文科を卒業。大学院に進学したが、同年東京高等師範の教師となる。1895(明治28)年愛媛県立松山中学の教員として赴任し、下宿に同居した正岡子規の影響で句作に熱中、次第に俳壇に出るようになる。
1896(明治29)年五高に赴任。自宅で俳句結社「紫溟吟社」を主宰した。生涯の俳句のうち4割を熊本で詠み、中には五高を詠んだ「五高吟」が29句ある。また、ボートレースに出場するなど活発な青年教師であった。
熊本で中根鏡子と結婚し、長女筆子が生まれる。1900(明治33)年文部省から英語研究のため2年間のイギリス留学を命じられ、ロンドンへ赴く。1903(明治36)年に帰国後、五高を辞職し、第一高等学校、東京帝国大学講師となる。1907(明治40)年朝日新聞入社、生涯を通じて多くの作品を発表する。
『草枕』『二百十日』『三四郎』『我が輩は猫である』等は、熊本時代の経験をもとに書かれたものである。

石碑

明治33年卒業写真

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