画学科試験問題1900(明治33)年
教 育
高等学校では帝国大学に入学するための予備教育機関としての教育が行われていた。外国語の時間数が全課程の4割をしめる語学を中心とするカリキュラムが組まれ、語学を担当する外国人教師が1~3人採用されていた。生徒たちはすぐれた教師陣により少人数教育体制の下で勉学にいそしんだ。
五高の学科課程は、当初本科・予科・補充科があったが、1894(明治27)年に大学予科一部(法科・文科)、二部(理科・工科・農科)、三部(医科)となった。一九一九(大正八)年以降は文科・理科の二科となっている。
1931(昭和6)年 物理実験場での授業風景